「家なき子」というと、フランスの児童文学や、90年代に大ヒットした日本のドラマを思い浮かべる人がほとんどだと思います。しかし、税金の世界で「家なき子」特例といえば、相続税における小規模宅地等の特例のなかの類型のひとつとして知られています。
この「家なき子」特例について、平成30年の税制改正で適用要件の見直しが行われました。その背景には、従来の適用要件の規制を巧妙にすり抜ける手法を本当に実行する人達の出現がありました。いきすぎた租税回避に歯止めをかける必要があったのです。
「家なき子」特例とは?
小規模宅地等の特例における特定居住用宅地等のパターンの1つ
小規模宅地等の特例とは、遺族の生活基盤になっている居住用の土地や事業用の土地について、土地評価額を大幅に減額することができる制度です。国民の生活基盤を失わしめるような苛烈な課税をしないことがこの制度の趣旨と言えます。
その小規模宅地等の特例の適用を受けられるための要件を満たす居住用の土地のことを、特定居住用宅地等といいます。特定居住用宅地等は330㎡までの面積について80%もの評価減を受けることができます。これが受けられるか否かで税額の負担に大きな影響が出ます。例えば、評価額5000万円の土地の全面積について特定居住用宅地等として小規模宅地等の特例が使えれば、その80%に相当する4000万円もの評価が減額できますので、納付税額では数百万規模の減額が実現できるのです。
特定居住用宅地等にはいくつかのパターンがあります。「家なき子」特例とは、そのいくつかあるパターンのうちの一つです。被相続人がひとりで住んでいた家屋の敷地を被相続人と別居していた親族で自分の持家がない人が取得するパターンを想定しています。
その土地を取得した人は、その誰も居なくなった場所にいずれ引っ越して自分の住まいにする可能性が十分あると考えられます。つまり、将来的にその人の生活基盤になることが想定されうるので、特例居住用宅地等として小規模宅地等の特例の適用を受けられる道が用意されているわけです。
持家がない人を想定した規定であることから「家なき子」特例という通称が生まれたようです。それにしてもこのネーミング、元ネタの児童文学やドラマのような身寄りのない可哀そうな子どもを連想させます。しかし、実際のところ、この規定の適用を受けている人は、ただ単に賃貸住宅のほうにメリットを感じてそうしている人や、仕事の都合で社宅や官舎に住んでいる人などであって、別段憐れみを誘うような人達では必ずしもありません。もしかしたら「家なき子」と呼ぶのは失礼なのかもしれない……と時々不安に思うこともあります。
改正前の要件とその抜け穴
その土地を取得した人が住んでいた家屋に関する要件(改正前)
家なき子特例の適用要件のうち平成30年改正の対象になったのは、その土地を取得する親族が住んでいた家屋に関するものです。それは、改正前においては次のような内容でした。
その土地を取得した人が相続開始前3年以内に住んでいた家屋について、その所有者が次の①または②でないこと
① その土地を取得した人
② その人の配偶者
これをもっと噛み砕いて言うと、3年以内に自分の所有する家に住んでいたらアウト、自分の配偶者の所有する家に住んでいてもアウト、ということです。
抜け穴
その1:持家のない孫に遺贈
子が既にマイホームを所有して別居している場合において、その子の子――つまり被相続人から見て孫がまだ家を持っていないときに、遺言によって一世代飛ばして孫がその土地を取得することにすれば、土地取得者の孫は「家なき子」として特例を適用できる余地が生まれます。
孫はまだ若くてその親の所有する家屋で親と同居を続け、その被相続人の住んでいたところに引っ越す可能性はないかもしれません。そうなると孫にとってその土地は失うことができない生活基盤とはいえません。それでも80%減額ができてしまうところが問題です。
ただ、場合によっては祖父または祖母の死をきっかけに孫がその土地に引っ越し、そこで生活を始めるかもしれません。そうであるならば、これを抜け道と呼ぶのは失当かもしれません。
その2:家屋を親戚や同族会社に売る
本人またはその配偶者が家を所有しているのが要件に抵触するのならば、その家の所有者の名義を変えてしまおうという発想です。
- 相続開始の3年以上前
親が亡くなると見込まれる時期より3年以上前に「生前対策」として、その土地の取得予定者(またはその配偶者)の所有する彼らが住んでいる家屋を、親戚(義理の父、義理の母、おじさん、おばさん、等)や自分たち一族で支配している法人(いわゆる同族会社の類)に買い取ってもらいます。
- 相続開始まで
相続開始までは、その親戚や同族会社から家を借りるという形で、今まで通りその家に住み続けます。
- 相続開始時
相続開始前3年内において形の上では確かにその家屋の所有者は本人またはその配偶者ではありません。小規模宅地等の特例が使えなくなる事態を回避できています。対策は成功です。
- 相続開始後
相続開始後も、その家に住み続けます。被相続人の住んでいた土地に引っ越すことは想定しません。そして、親戚や同族会社から家を買い戻せば、自宅の所有状態が対策前と同じの元通りになります。
家屋の所有者を変更する行為には登記費用など一定のコストがかかりますが、小規模宅地等の特例の恩恵の方がより大きいならば、「この対策は効果がある」と判断されうるわけです。
さて、この場合には、その土地がその取得者にとっての生活基盤になっているとは決して言えません。まさに抜け穴です。制度趣旨を思えば、これに80%減額ができてしまうことは問題があると言わざるをえないしょう。
この他にも応用型の抜け穴があって、あちらこちらでザクザク掘られ、国としては看過できなくなったのか、とうとう改正に至りました。
改正後の要件と経過措置
その土地を取得する親族が住んでいた家屋に関する要件(改正後)
平成30年の税制改正により、その土地を取得する親族が住んでいた家屋に関する規制がより厳しくなりました。
(1)その土地を取得した人が相続開始前3年以内に住んでいた家屋について、その所有者が次の①から④までのどれでもないこと
① その土地を取得した人
② その人の配偶者
③ その人の三親等内の親族
④ その人と特別の関係がある法人
(2) 相続開始時にその土地を取得した人が住んでいる家屋を、相続開始前のいずれの時においてもその人が所有していたことがないこと
(1)③④および(2)が付け加わりました。
(1)③が加わったことで、抜け穴「その1:持家のない孫に遺贈」が塞がれることがありえます。例えば、持家が無い若年の孫がその親の家で両親と同居しているケースでは、孫から見てその親は一親等の親族ですので、三親等内の親族が所有する家屋に住んでいることになって(1)③に抵触してしまいます。
(2)が加わったことで、抜け穴「その2:家屋を親戚や同族会社に売る」が塞がれます。過去3年間に限定していません。一度でも所有したことがあればアウトですので、かなり厳しい規制です。
この改正後の規定は、基本的には、平成30年4月1日以降に開始した相続または遺贈により取得するものについて適用になります。「基本的に」と付けたのは、次の経過措置が設けられているためです。
経過措置
平成30年4月1日から令和2年3月31日までに相続または遺贈により取得した場合
仮に平成30年3月31日に相続または遺贈があったものとしたときに改正前の要件に照らして「家なき子」特例の適用を受けることができるケースであるならば、実際の相続税申告においては改正前の要件で判定してもよく、改正後の要件で判定してもよい、とされています。
平成30年3月31日時点で改正前の要件をみたし、実際に亡くなった時も改正前の要件をみたしていれば家なき子特例が使えるということです。
要するに、改正前の要件が令和2年3月31日まで使えるということで、事実上施行開始が2年間猶予された形です。
令和2年4月1日以降に相続または遺贈により取得した場合
ここでも、仮に平成30年3月31日に相続または遺贈があったものとしたときに改正前の要件に照らして「家なき子」特例を適用可能と判定できるケースであることが前提です。
そのうえで、
- 令和2年3月31日においてその対象となる土地の上にある家屋の新築または増築などの工事が行われていること
- その工事の完了前にその被相続人に係わる相続または遺贈があること
- その相続税の申告期限までにその土地を取得した人がその家屋に住むこと
この3つ全てを満たす場合には、
- その土地は相続開始の直前において被相続人の居住の用に供されていた
- その土地を取得した人もその土地の上の家屋で被相続人と同居していた
- 相続開始時から申告期限まで引き続きその土地を所有し、かつ、その家に居住し続けた
と、みなします。現実にはそうなっていなくても、そういうことにします。
そして、「家なき子」特例としての特定居住用宅地等ではなく、同居親族が取得したパターンの特定居住用宅地等として、小規模宅地等の特例を適用します。
……かなりややこしい規定ぶりです。
この規定を作った人の意図したところを推測すると、おそらく次のようなことではないでしょうか。
親が亡くなったら親の土地に引っ越そうと考えている「家なき子」で今回の改正によって家なき子特例が受けられなくなる見込みの人は、親が亡くなってからではなく、すぐに引っ越しをして親と同居してください。
そうすれば、同居親族が取得したパターンの特定居住用宅地等として、小規模宅地等の特例を適用できるでしょ。
親との同居を決意して二世帯住宅用の工事を始めたが工事完成前に親が亡くなってしまい同居が実現しなかったような不幸なケースについては、この経過措置で救済して、小規模宅地等の特例を適用できるようにしてあげます。
ただし工事は令和2年3月末までに始めてください、さあ急いで!
租税回避
改正前の家なき子特例の抜け穴を使った行為、とりわけ家の名義を変更する手法は、あきらかにやりすぎで、典型的な租税回避と言ってよいでしょう。
租税回避は脱税とは異なります。法律自体には従っているからです。原則として法律の根拠がない限り租税回避行為を否認できません。したがって、問題のある租税回避には税制改正で対処することになります。
いったん改正で穴を塞いでも、またいつか誰かが新しい租税回避の抜け穴を見つけて、真似する人たちが続いて、改正で穴を塞いで、の繰り返しになるのでしょう。小規模宅地等の特例の複雑化はまだまだ続きそうです。