浅間町

事務所とその周囲

澤田税理士事務所は、さいたま市大宮区の浅間町にあります。浅間町は「せんげんちょう」と読みます。 この浅間町の地名の由来が、事務所のすぐ近くにあります。

浅間山

事務所の建物に面する道路を東の方角へ歩いて1分くらいのところに、浅間山(せんげんやま、もしくは、せんげんさん)があります。群馬県にある有名な火山である浅間山(あさまやま)と同じ字ですが、こちらは非常に小さな人工の築山です。標高は3メートルくらいでしょうか。

山頂には、浅間稲荷神社と御嶽神社の二つの祠が祭られています。小さなお社ですが手入れが行き届いており、今も地元からの信仰が続いている様子が伺えます。

由来

この浅間山の由来について、現地の看板に詳細が述べられています。この看板は浅間町の自治会の方々が設置してくれたようです。

 日光門跡輪王寺宮四代公寛親王が上野寛永寺と日光間を三往復されていた折に街道筋の幕府から請地している者たちが、沼地の干拓を熱望していることを聞き徳川八代将軍吉宗に用水路の普請と沼地の干拓を進言したことから見沼代用水工事が幕府直轄で始まることとなった。

 徳川吉宗の命により享保十年八月から普請役安田太左衛門はこの工事を行うための測量、設計に必要な三角点の一つが現在の浅間山の地点にもとめられた。

 付近の荒れ地から土を運び、山を築き、櫓を組み水平板を設置して用水路の通過地点の高低を測る工事を施工した。この三角点との距離が大体千間あったので、当時の住民はこの山を千間山と呼んでいた。江戸中期には山岳信仰が盛んとなり、当地でも富士山の浅間神社をこの山に祭ることになり、浅間山と呼ぶようになったものと思われる。

江戸時代の見沼代用水の工事がことのはじまりで、「千間」が「浅間」に変化したということのようです。

補足いたしますと、見沼代用水は、現在の地名でいうと行田市の利根川から取水し途中上尾市で二股に分かれ西側は川口市まで東側は東京の足立区までに及ぶ、非常に大規模な用水路です。もともとは見沼という沼の水を農業用水にしていたところを、その見沼を干拓し、代わりに利根川から水を引いてきたので、見沼代用水と呼ばれます。

水は高いところから低いところに流れるので、用水路は下流にむかって徐々に低くなるように設計する必要があります。用水路を作るにあたり用水路予定地の高さを測量することは決定的に重要と言わざるをえません。そして、見沼代用水の工事に先立って行われた測量の精度は極めて高かったと現代でも評価されています。当時の技術者は千間山で見事に仕事を成し遂げたようです。

千間山が用水路の完成後も取り壊されず、信仰の場としての浅間山に変わっていったことも非常に興味深いです。

地名は「言葉の化石」、とも言われます。先人たちの営みを垣間見ることができる浅間町という名を、浅間山とともに大切に後世に引き継いでいきたいものです。